ほっこり日記

電信柱の陰から見てるだけ

出産レポ(第一子の時を振り返る)

今や4人育児中の私ですが、どの出産も怖かったわけです。

そして痛かった…(苦笑)。

そんな私の出産レポを第一子からご紹介します。

 

第一子の場合

 

 第一子を出産したのは10年前になります。初の出産でとにかく怖くて怖くて、予定日が近づくごとに妙な緊張感と焦りを抱えてもだもだしてました。

 出産は恐ろしいけど、早く産みたい!という何とも摩訶不思議な思考に囚われた毎日でしたね。

 

散歩するがまったく生まれる気配のない我が子。

 

 早く産みたいと鬼気迫る表情で散歩に勤しむ臨月でしたが、予定日が到来しても全く兆候はありません。おなかの赤ちゃんが3000kgを超えてきてたので、難産になるんじゃないかと気持ちも穏やかではありませんでした。

 この時の私は皆さんの出産レポを読むのが日課で、特に安産体験記ばかりを好んで読んでいた記憶があります。ある種の願掛けですね。

 

予定日超過1週間目

 予定日を1週間越してもまったくうんともすんとも言わないお腹…。

 ここまでくると、さすがにやさぐれ気味でしたね。旦那とも話し合って、こうなったら待てる限界まで待とう!と腹をくくったときでもありました。

 

 しかし事態は急変します。

 

 当時、里帰り出産だったんですが、県外に住んでいた旦那が週末ということもあり訪問、ついでに産婦人科の検診にもついてきました。そして旦那がついてきていることを知った産婦人科の先生がそれなら旦那さんがいるうちに産んじゃお!とあれやこれやと翌日、誘発分娩する流れに…なってしまいました。

 

 しかも前準備があるとのことでその日のうちに入院することに…。

 

 自然に待とうと腹をくくったばっかりなのに…。まぁ産まない理由は無かったので別に良かったんですけどね…。でも戸惑いはありまくりでした。

 

急遽決まった誘発分娩(当日)

 前乗り入院で子宮口を広げる処置をして、翌朝5時(事前説明では午前9時からだったのに…先生の都合で前倒しになる)から点滴にて促進剤投与。あとは陣痛がくるまで、自室に戻って待機ではなく…分娩台に乗せられたままその時を待つことになりました。

 進展があったのは、正午あたりでした。

 破水したんです。

 

 破水してからは急激な痛みに襲われもだえ苦しむ時間の始まりでした。

 ただ、その産院は初産は和通分娩を推奨していたので、痛みがマックスになりかけたタイミングで脊髄注射による麻酔注入をしてくれ

 例にもれず、私も麻酔を入れてもらい、楽なお産になるはずでしたが…

 麻酔が効きすぎて寝るという所業をやってのけたのです。だって朝5時から分娩台のりっぱなしで疲労も溜まっていたんです。緊張の糸がぷつりと切れちゃったわけです。

 

寝てしまったがために遠のく陣痛とお産…。

 麻酔が効きすぎて分娩台で足を広げたまま寝てしまったわけですが、これが良くなかった…。せっかく促進剤投与によって着実についてきた陣痛を全く感じなくなってしまっていたんです。

 15時になっても涼しい顔して分娩台で寝ぼけている私に、下された判断は…

 麻酔をやめる…

 いや、この決定を耳にしたとき、怖さがぶり返して半泣きになってしまいました。

 もうね、朝5時から分娩台に拘束されて脊髄注射っていうものすごい痛い注射にも耐えてこれでそれほど苦しまずに出産できるっていう希望がこの瞬間にすべて無に帰したわけですから。そりゃ精神状態もおかしくなります。

 

麻酔がきれたと同時に襲い来る激しい陣痛と出産。

 はい。麻酔がきれたらやってくるのが陣痛です。そりゃそうです。促進剤は点滴されたままですから、陣痛がこないはずがない。

 

 しっかし、数々の方針転換に危うくなる精神と疲労困憊の躰で激痛と戦うのはあまりに酷でした。過呼吸になりかけ、助産師さんにお腹をグイグイ押してもらいながら出産に挑むのは、

 

 控えめに行っても地獄でした。

 

 そして夕方5時30分、息も絶え絶え念願の出産にたどり着くことができたときは、赤ちゃんに合えた喜びよりも痛みから解放された安堵感だっという…

 それにしても産んだ瞬間に嘘みたいにひく痛み…。人間の躰ってすごいですね。

 因みにお腹には助産師さんの指の跡がくっきり残っていたよ)